入野家住宅(国指定文化財)
入野家はもと武士の出で、江戸時代初期から代々名主をつとめた家柄で、主屋は所蔵文書等から、天保7年から同12年までの5年を費やし、飢饉に当たって村民救済事業として建設されたことが明らかになっております。それ以来大きな改造の手も加えられず、往時の姿がよく保存されています。主屋と寄棟造りの表門は国の重要文化財となっています。
千手観音堂(町指定文化財)
創建は古く、数回にわたって修復が行われ、現在の堂宇は、領主千本大和守義貞によって修復され、正面欄間 の竜の彫刻など部分によっては古さと迫力に富んだ作品となっています。
千手観音像(県指定文化財)
平安中期の作といわれるこの千手観音は、像高172cm、肩幅43cmの桧材一木造り。
優しさに満ちあふれた穏やかな表情は、見る人に深い感動を与えます。
上根観音堂(町指定文化財)
唐様の三間四方の仏堂で、堂に施されている十二支や七福神の彫刻は立派なものです。日光の建造物に見られるような華麗さがあり、建立は江戸時代と推定されています。
熊野神社(町指定文化財)
熊野神社は、長暦2年(1038年)紀貫之5代目の子孫、市花十郎直正の手により建立されたもので、当時は古宿の地にありました。宝永4年(1707年)に社殿が再建された後、明治30年、日枝神社隣の現在地に遷座されました。
地蔵菩薩坐像(町指定文化財)〔町立歴史民俗資料館常設展示〕
地蔵菩薩坐像は、郷土が生んだ仏師・荒井数馬古春により寛政元年(1789)12月の作品で、表情が豊かで重厚さの目立つ大作です。光背については後付けされた感はあるが違和感はありません。木造で左手に宝珠を捧げ右手に錫杖を執る形式は均整がとれています。
下野国芳賀郡上根村外4か村村入会地境裁許絵図面(町指定文化財)
この歴史資料は、祖母井村・上根村・稲毛田村・多田羅村・赤羽村の各村に係る境界、入会秣場争いなど、5件の係争について幕府評定所が裁定(判決)を下した裁許状です。幕府は、この争いについて検使として岩出藤左衛門手代早藤弥一兵衛、設楽勘左衛門手代関澤新右衛門を派遣し、検分のうえ裁定を下しました。
この裁許絵図面を関係村へ各々一部交付し、以後厳しく守ることを通達した、当時の農民生活の一辺を知る貴重な歴史資料です。
下野国芳賀郡上根村外4か村村入会地境裁許絵図面・裏書(町指定文化財)
刈生田古墳出土遺物(環頭大刀把頭・喰出鐔)
刈生田古墳の石室から出土した双龍文環頭大刀把頭は極めて希少な価値のある重要な遺物です。県内ではわずか3例、日本全国でも70例ほどしか確認されていない。
添野遺跡出土遺物〔町立歴史民俗資料館常設展示〕
添野遺跡は、市貝町統合中学校(現・市貝中学校)建設工事施工で発見され、昭和47年(1972)、町教育委員会によって発掘調査が実施されました。その結果60基の貯蔵用土坑(上部開口部径より低部径が大きい袋状土坑=フラスコ型)の群在が確認されました。土坑の一部からは、縄文時代中期の大型で装飾性豊かな土器類が出土しました。
横塚古墳出土器財埴輪〔町立歴史民俗資料館所蔵〕
横塚古墳は、市塙の伊許山の麓にある全長52mの市貝町では最大級の前方後円墳で、6世紀前半の権力者のものとみられています。器財埴輪3点は昭和32年に行われた発掘で同古墳から出土したものの、長らく所在不明とされ、令和3年度関係者のご協力により65年ぶりに市貝町に帰ってきました。
大刀形埴輪は、高さ90cmで玉纏大刀を精巧に模したものです。下部の鞘の部分は直方体に表現し、三角文を赤く描いています。柄の部分には滑り止めの隆文帯を斜めに走らせ、型の板を柄頭につけ、柄の間に革または金属の勾金を渡し、三輪玉の飾玉をとじ連ねています。 槍形埴輪は、 高さ41.5cmと高さ31.5cmで、類例が少ない優品です。
大刀形埴輪1点と槍形埴輪2点は発掘調査によって出土したものですが、美術書にも掲載されるなど考古学的にも美術的にも非常に価値が高いといえます。令和7年1月24日、市貝町指定有形文化財(考古資料)として指定されました。