栃木県市貝町
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2017年3月3日 更新
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町長コラム(平成28年分)
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平成28年12月
歴史的な結びつきや、産業、観光、防災などを通じて長い間交流を重ね姉妹都市や友好都市を結ぶ自治体は多いものです。
 この夏から市貝町でも初めての姉妹都市を目指して、南国に浮かぶ美しい島・宮古島市と交流を始めました。宮古島市は、市貝町から2,000キロほどのところにあり、東京の羽田空港から直行便が1日1便出ており、約3時間かかります。人口54,600人で、11月11日現在、最高気温23.5度、最低気温21度の温かい亜熱帯海洋性気候の離島の自治体です。平成17年10月に平良(ヒララ)市、城辺(グスクベ)町、下地(シモジ)町、伊良部(イラブ)町そして上野(ウエノ)村の1市3町一村が合併しました。宮古島を中心に八つの有人島からなり、市木は根が枝から何本も垂れ下がり妖怪のように見えるガジュマル、市花は深紅のブーゲンビリア、そして市鳥はサシバでした。海は世界一美しいとも言われ、与那覇(ヨナハ)前浜ビーチは、トリップアドバイザーの日本ベストビーチに3年連続日本一に輝いています。
 市貝町では、東京大学出版会刊行の「日本のタカ学」によれば、100キロ平方メートルあたり138つがいを超えるサシバの夫婦が子づくりをしているということで、世界有数の子育ての町となっています。一方、宮古島市の伊良部島は、愛知県伊良湖岬、鹿児島県佐多岬と並んで日本最大のサシバの中継地となっています。伊良部島に渡っていくのは10月上旬の寒露をはさんで2週間で、1泊して翌日早朝には温かい南の国に飛び立ってしまいます。多いときで8万羽を数えましたが、近年は4万羽ほどに減り、今年は1万1,936羽になってしまったということでした。宮古野鳥の会で近年、地元の中学生に1羽ずつカウントしていただいているのですが、余りにも少ないので驚いているとのことでした。
 私と議長がこの渡りに合わせて下地(シモジ)市長と棚原(タナハラ)市会議長を表敬訪問をさせていただいたのですが、宮古島市は平坦な島なのでサシバのための止まり木を植栽したいとおっしゃっていました。仲地(ナカチ)宮古野鳥の会長は、毎年600羽近いペースでサシバの渡りが少なくなっており、シミュレーションしたところ、14、5年後に地球上から絶滅してしまうとの説明を受けました。
 5年前にコウノトリと暮らすまちづくりを進めておられた兵庫県豊岡市の佐竹課長が来町されました。その時、豊岡市はゼロから出発して皇族による野生放鳥までこぎ着けたのに対し、市貝町はすでに生息していることから始まれるのだからうらやましいとおっしゃっておられたのを思い出しました。八溝山地からサシバが絶えないよう、宮古島市と協力しながらサクセス(成功)ストーリー(物語)を描いていきたいと思います。
平成28年11月
 栃木県は、脳卒中による死亡率が全国でトップクラスに位置します。最新のデータでは、男性は47都道府県中44位、女性が46位です。市貝町は県内11位ということですが、男性については、全国約2,600市町村中150位とかなり高いところにあります。
 脳卒中は、脳の血管が詰まったり、破れたりして、脳内の神経細胞が傷つき、運動機能などがマヒする病気です。原因には、高血圧症や肥満などが考えられ、塩分控えめの食事や運動が予防に効果があります。
 かつて「脳卒中死亡率日本一」と地元新聞に書かれたことのある当町は、この汚名を返上するために私が就任して初めて栄養士を職員に迎えました。彼女の孤軍奮闘を支援しようと、母校である女子栄養大学の学長が自ら来町し、町民の食生活の改善やブランド食品開発に向けた協定を結んで下さいました。
 女子栄養大学の創始者は、女医の香川綾様です。医者の本分は治療であるが、病気にさせないことが大事、予防医学と栄養を日本で初めて結びつけた女医です。協定締結式には当町にたくさんの報道機関が駆けつけましたが、大学では学外に出て式を挙行したのは、前例がないというほどの力の入れようでした。式後には大学院研究科長の武見ゆかり先生が「市貝町住民の方の健康寿命延伸のために」と題した特別講演をして下さいました。
 市貝町は、10月から地域の集会所で元気体操を町内四か所でモデル的に実施し、来年の四月に全域に広げます。高齢者の身体の衰弱を防止するとともに、栄養学の面から体の内側から健康にしていきます。本町の高齢者は日本一健やかで幸せになることでしょう。
平成28年10月
 スポーツの秋といわれますが、子どもたちは、スポーツを通してルールを守ることを学びます。ルールに則り正々堂々と競い合い、勝者には敬意が払われ、敗者に対しては励ましのことばがかけられ、友情が育まれます。今年の夏は、日系移民の多いブラジルのリオでオリンピックと障害者のスポーツの祭典であるパラリンピックが開催され、毎日が感動の連続であり夏の暑さを忘れさせてくれました。パラリンピックの大会名称は、オリンピックの開催地において平行(パラレル)して実施されることから名付けられたということです。
 両大会ともにメダルラッシュで日本から参加した選手は、口々に応援してくれた協力者に感謝の意を込めて「ありがとうございました」と喜びの感情を満面に表わしていました。障害者の方からは、二人三脚で人生も含め頑張ってきた家族に対する感謝の気持ちが強く感じられました。中でも視覚障害者による柔道男子60キロ級に出場し、三大会ぶりにメダルを獲得した名古屋市盲学校教員の広瀬誠さん(39歳)は、三人の娘に障害者でも頑張っている姿を見せてあげたいと言った最後に「私を生んでくれた両親に感謝しています」と述べられたのには驚きと感動を覚えました。障害者として生まれ、人里離れた旧盲・ろう学校の寄宿舎に一人で寝泊まりさせられ、そのうち親も面会に来る回数が減っていったということを耳にしました。分かっていれば産みたくなかった、こんなに疎んじられるのだったら生まれてこなければ良かったとお互いに思ったのかも知れません。しかし、広瀬さんは違います。こんな喜びは生を授かったからこそかみしめられるのだ、命を与えてくれてありがとうと叫んだのだと思います。幸せとは何だろうと考えさせられました。
 幸せとはテレビがあって車に乗れて、物に満たされている状態を言うのではなく、足がなくても、耳が聞こえなくても、目が見えなくても、あきらめずにより良く生きようとまっすぐに努力している状態をいうのだと思います。私たちは、このように自分の身体的限界を知りながらも精一杯向上心を抱いて努力している障害者の姿を、自分たちの生き方の手本とすることができます。「障害者に世の光を」ではなく、まさに彼らは「世の光」そのものであると思います。
平成28年9月
 人の人生は一回しかないので、職業はしっかり選んで就きたいものです。その人が満足して従事できている職業のことを天職というのだそうですが、こんな仕事に恵まれたらどんなにか幸せな人生が送れることだろうと思います。
 役場の職員は近年、昭和20年代の団塊の世代の定年退職に伴い、若返りが進み、20歳代の職員の割合が3割ほどになっています。私にとっては親子ほどの世代差があり、若い職員の持っている異質な価値観の理解に努めつつも、仕事の意義について自覚させなければならないと思っています。この子達は、同世代の親からお預かりした青年であり、近い将来本町を背負っていく職員と思えばなおさら強く感じます。
 15歳から39歳までの若者の死因のトップが自殺となっているのは、先進国の中で日本の特徴であり、今後高齢化が進んでいくと独居者が誰にも看取られず住居内で亡くなる孤立死も懸念されます。このため、20代の若い女性の職員に住み慣れた地域に人と人とのつながりを築いていく取り組みを学ばせるために、福島県の伊達市に30日間という長期にわたる研修に行っていただきました。若い女性ですから断られるものと不安でいっぱいでしたが、両人とも快く引き受けて下さいました。彼女たちは人と人をつなぎ合わせる術を学んで帰られ、町の宝となる職員です。
 二人が修得してきたものは、元気づくりシステムと呼ばれるもので、町内の公民館などに住民の方に集まっていただき、ある運動をしてもらうというものです。私も視察に行って参りましたが、90歳を超える高齢者が元気に和気あいあいに運動している姿を見て驚きました。運動が終わると家から持参してきた手料理を広げて世間話に花が咲きます。絆が深まると、防犯や見守りまで活動が広がっていくということでした。「みんなと話ができるのが生きがい」とか「お陰さまで病院に行かなくなりました」との感想が聞かれました。
 今回研修を受けてきたのは2人の職員です。指導するのには限りがありますので、とりあえずこの10月から町内の4つのモデル地区でこの元気づくりシステムを実施するということです。1人で寂しくしている方や健康に自信の無い方にはどしどし利用していただきたいと思います。
 もう一つ、人と人とを結びつける感謝の気持ちができあがりました。私が6年間温めていたものが形になりました。ゴミ出し、買い物代行、電球交換、雪かきなど高齢で自分でできない人のために働いていただければ、町が代わって感謝の気持ちを差し上げます。30分の活動で一ポイント、50円相当のポイントがボランティアカードに付与されます。
 みんなで運動して、働いて、生きがいを持って、まあるくつながりましょう。
平成28年8月
 千手観音様は千の手と目で衆生を漏らさず救済する観音様で、特に子(ね)歳の守り仏だそうです。近年県外から市貝町を訪れる女性が口々に言われるのが、千手観音様に導かれて参りましたということです。私は、当初冗談だろうぐらいに笑って聞いていたものですが、こう何人もの客人から告げられるものですから、私も千手観音様に恐(畏)れを感じるようになりました。この観音様を守られるのが観音山梅の里づくり協議会の皆様です。平成22年11月28日に62年ぶりのご開帳を果たされ、24年に栃木元気大賞を受賞し、続く25年11月には豊かな村づくり全国表彰事業において農水大臣賞を受賞されました。さらに農水大臣賞を受賞した団体の中から天皇杯受賞候補が選ばれたのですが、当協会は八代市のグリーンファーム八代に比べて加工品販売の面で劣るという評価になり、天皇杯候補に残れませんでした。
 私が全国農業新聞を発行する全国農業会議所に在籍していた頃、天皇杯や農水大臣賞を受賞した団体は、受賞前は補助金を湯水のごとく使い派手なパフォーマンスを演じメディアの気を引こうと頑張るのですが、賞を獲得した後は、補助金が続かなくなり消えていく事例が多いという話しをよく耳にいたしました。ところが当協会は会長を先頭に、天皇杯での敗因を分析し、弱点である加工・販売部門を充実させようと優良事例を研修しながら調査研究を重ね、このたび新しい梅の加工品を開発されました。
 一つは、梅の実そのままを加熱して熟成した「黒梅姫」、もう一つは、梅のエキスから精製した「梅のめぐみ」です。黒梅姫はザラメと一緒に数時間煮込んで甘酸っぱい味に仕上げた上品な菓子です。
 また、「梅のめぐみ」は観音山の梅で作った梅干しから塩分を抜き取り、リンゴ酢とほどよく混ぜてつくった梅ジュースです。黒梅姫はそのまま、梅のめぐみはオンザロックのほか、リンゴやオレンジ、ブドウジュースと混ぜられるとおいしく召し上がれます。
 他市町の道の駅に寄ってみると、いろいろな添加物が含まれたお土産品が同じように置いてあります。しかし現地産のものでなく、同じメーカーが製造して、パッケージを変えただけというものを数多く見かけます。観音山が発売する商品は、保存剤や人工着色料などは使用しない安心安全な地域の材料で作ったものです。この夏は、梅のめぐみと黒梅姫で暑気を吹き飛ばし、元気に乗り切りましょう。
平成28年7月
 さみだれに見えずなりぬる小径かな 蕪村
 六月の雨なのに、さみだれを五月雨と書きます。旧(陰)暦では6月5日が五月一(朔)日ですから、6月はまるまる一ヶ月陰暦の5月になるわけです。五月雨は腹の中まで腐らせる、ということわざがあるように、陰気に長く降り続く梅雨は嫌われますが、晴耕雨読にはほど良いころかも知れません。
 こんな中、関東町村会の研修があり、一泊二日で勉強して参りました。満席の町村長に拍手で迎えられたのは、若い投資家でした。名前は忘れてしまいましたが、顔を見て驚きました。学生の時から早稲田商店街の活性化に取り組み、「空き缶拾ってハワイに行こう!」などと次々と斬新な企画を世に送り出し「学生実業家」などとマスコミに持てはやされた挙げ句の果て、すい星のように表舞台から消えていった青年でした。彼の手腕のお陰で商店街が軌道に乗り出すと、そのうまみを求めて反対していた人や外部の怪しげな人まで割り込んで来るようになり、結局功労者の彼は追い出されてしまったわけです。人間不信と円形脱毛症になっていると噂には聞いていましたが、十年振りにまちづくり事業家に変身しての再登場でした。
 彼のまちづくりの哲学は、数々の失敗に鍛えられ説得力に富むものでした。一度他市町村で取り組まれた成功物語は通用しない。したがって、成功事例を判で押したような補助事業は使うなでした。自分の稼ぎでできないのに、一過性の予算をもらって始めても補助金が切れたら終わりです。継続できない事業に税金を毎年かけていたら、町も地域もますます衰退して行くと警鐘を鳴らしています。
 まちづくりの基本は、まちを一つの経営体と見なして、まず不要な経費を削り、その分を基金に積み立て、地域づくりのために再投資することだと言い切ります。みみっちく維持管理費を節約して、その金でフロアの改装をしながら価値を高め、粗利益の高い店に出店してもらえる基盤を造ろうと訴えています。
 また、大切なのは百人の合意を得ることよりも、何事も言い訳しない、覚悟を決めた地元の人が数人いることだと言っています。さらに重要なのはどこにもない強烈な個性であり、小さく始めて粛々とおいしいメニューを開発し、地道に営業しているところには客がつき、これに触発されて周辺もにぎわってくると主張します。本当に必要とされるものだけを集め、できあがった小さな集積こそが住みよい町づくりにつながるのだと言いました。
 失敗から学んだ彼の結論は、地方を逃げ道や食い物にするのではなく、そこで覚悟を決めて将来に対して責任の持てる取り組みができることだと、「覚悟」を何度も繰り返しました。市貝町も覚悟のある人を求めています。雨に打たれても腐らずに、チャレンジできること、こういう粘りが求められているのです。
平成28年6月
 昭和19年の太平洋戦争末期に、唯一の本土決戦となった沖縄戦において、20万県民のために命を賭けた芳賀郡出身の警察官がいました。旧清原村出身の沖縄県警察部長(現本部長)・荒井退造(42歳)です。退造の縁者にあたる私の大学の先輩である荒井俊典氏より、退造のことを語って欲しいと依頼され、NPO法人「菜の花街道」主催の会合で講演する機会を得ました。
 退造は母子家庭で育ち、警視庁巡査となりながら、夜間の大学で苦学し、高等文官(旧上級甲種)試験に合格、内務省に奉職します。その後警視となり、満州新京(現長春)の警察部長を経て昭和十八年七月沖縄県に配属となりました。19年7月にサイパン島で日本軍が全滅すると、閣議で沖縄戦の公算大と判断され、戦闘で足手まといとなる県民の島外疎開を決め、県警察部が推進することとなりました。しかし、県民の間には、子どもや年寄りだけで親類のない九州において生活することに不安があり、何より、途中潜水艦に撃沈される恐れがありました。さらに、知事まで疎開に反対し、退造は県議会でつるし上げを受けることになりました。疎開が軌道に乗るのは、10月10日の那覇市空襲があってからです。知事は、爆撃から身の安全を図るため県庁から退避し、軍司令部と対立します。残った退造が軍により厳戒令を布かれないように軍に協力し、事実上の県の最高責任者となって疎開に心血を注ぎます。知事は上京したまま帰庁せず、そのまま香川県知事に就任してしまいます。
 代わって昭和20年1月に着任した知事は、大阪府の部長であったスポーツマンの島田叡(44歳)で、最後まで退造の良き理解者となりました。また、軍と知事の関係も修復され、参謀長からアメリカ軍は沖縄に上陸予定であることを初めて知らされるとともに、老幼婦女子の北部国頭地帯への緊急退避および食料確保の要請を受けます。全職員に鉄カブトが配られ、日本刀の佩用も許され、県民の移動に総力が尽くされました。しかし、アメリカ軍が3月25日に慶良間列島に上陸するに及んで、北部への移動は中止せざるを得なくなり、4月24日には一転して、軍司令部から住民の南部退避を命じられ、島尻には30万の県民がひしめくことになりました。そこに今度は首里で敗退した日本軍が5月27日から南部撤退を開始します。このため、島尻では軍民入り乱れての悲惨な戦闘が展開されることになります。
 知事は、県民が犠牲になることを恐れ、軍司令部の決定に反対し、首里での決戦を主張しましたが、容れられませんでした。このため退造は「60万県民ただ暗黒なる壕内に生く。この決戦に敗れて皇国の安泰以て望むべくもなしと信じ、この部下とともに敢闘す」との電報を内務省に打ち、敗残難民の誘導保護を行いながら終焉の地、沖縄島最南端の摩文仁の丘を目指し落ちて行きます。退造は不衛生な長い壕生活のためにアメーバ赤痢に感染し、日ごとに体力を消耗していったと言われています。 退造と知事の公式な消息は、6月22日の軍司令官の自決を受けて、26日に北部国頭へ住民保護に行くと言い遺し、知事が退造の肩を抱えて壕を出たのを最後に、途絶えます。
 内務大臣は2人に顕功章を贈り「官吏ノ亀鑑」と讃えました。2人の遺骨は戦後70年を過ぎてもまだ帰ってきていません。母親は亡くなるまで息子の生存を信じていたということです。退造の側に使えていた方々の証言は「生きて帰りたい」が口癖であったようです。島田知事の酒宴での余興は上着を脱いで「照る照る坊主照る坊主、あした天気にしておくれ」と踊ることだったそうです。今日は辛いけれど明日は戦が終わって良い日になりますように・・・なのかもしれません。両人とも南海の孤島の赤いブーゲンビリアの花の下で、遠い故郷の鏡のように美しく輝く水田を夢見て今も眠っているのかもしれません。
平成28年5月
 市貝中学校の入学式が、満開の桜の花が咲く添野が丘で4月8日、挙行されました。昨年は珍しい季節外れの雪に見舞われ、今年は開花が早いと言われながらも、ここ数日朝晩冷え込んだことから、ちょうど入学式に満開の桜吹雪が間に合いました。
 式では、市貝中学校開学以来、初めての女性校長となられた斉藤先生のリードにより、117名の新入生は笑顔で入場、新担任の呼名に対し、元気な返事で応えていました。斉藤校長の式辞は女性らしく詩を引用され、格調の高いものでした。新入生の中には、入学式直前にバレーボールの全国大会に出場した、赤羽小学校の児童でつくる赤羽スポーツ少年団の女子団員の姿がありました。北九州で開催された全国大会では、沖縄県と福井県のチームにストレートで勝ち進み、二勝二敗の好成績を挙げました。
 役場の職員の間でも女性が頑張っています。今年の人事異動では、女性課長が二人も誕生し、地元新聞の見出しを飾りました。もちろん、実力による昇格です。市貝町役場の女性職員は、結婚、出産後も職場に復帰し、立派に職責を果たしています。ある調査によると、女性の3人に一人は専業主婦を希望し、第一子の誕生を機会に退職される方が6割を超えるという数字が出ています。
 そして、子育てが終わる頃再び就職するケースが多いといわれ、これを専門家の間では、女性の就労のM字カーブと呼ぶのだそうです。中途からの再就職は、日本の場合、臨時職などの非正規雇用がほとんどです。役場にも申し込まれる女性の経歴などを拝見させていただきますが、学歴も立派な上に、質問に対してもはきはきと簡潔明瞭にお答えになられ、臨時ではもったいないと頭が下がる思いを何度もいたします。
 少子化が叫ばれる反面、日本が今後とも移民や難民を受け入れないとすれば、15歳から64歳までの生産年齢人口は着実に減少していきますから、女性の労働に頼ることになります。このため、子どもたちは親と一緒に過ごす時間が少なくなるわけで、6歳までは家庭で子どもが信頼する親の愛情の下に、正しいことと悪いことの判断をしっかりと覚えさせることが大切であるという、しつけの鉄則がないがしろにされやしないかと心配です。
 法律や規則が次々に改正されて、育児休暇が取り易くなるとともに、勤務時間を子どもの都合に合わせて短縮することができるようになりました。
 地方自治体は、企業が採用する子育て施策について指導が出来ることになりましたが、一定規模以上の会社に限られました。まずは「隗(かい)より始めよ」です。役場内の子育て中の女子職員の待遇を改善し、民間企業に見習ってもらえるようになることが大切であると考えます。
平成28年4月
 今年は、桜の開花が早いようです。私の学生時代の恩師がこの度叙勲となり、大学での祝賀会に招待され上京しましたが、母校の桜並木は3月12日現在で、すでに六分咲きでした。おそらく母校の桜並木は例年、東京において最も早咲きではなかったかと思います。
 市貝町役場は、良い仕事をしているのにピーアールが下手だと言われます。町民の皆さんと懇談会で話し合いをすると、町が行う介護や子育てのサービスの内容がよく見えないと言われます。これもしています、あれもしていますと言うと、知らなかったと驚かれます。もっと新聞やラジオ・テレビ、インターネットを上手に使って、町の仕事を広く知らせることは大切なことだと思います。
 そこで、わたしから町民の皆さんに、この4月から始まる結婚から子育てまで、切れ目のないサービスをご紹介したいと思います。まず、町内在住者が結婚されると、お祝いとして一万円分の商品券もらえるとともに、町の奨学金を借りていれば返還する残額が免除されます。さらに、町内の賃貸住宅に新居を構えると、家賃の一部が補助されます。その後、子宝を授かると、出産準備金として三万円が支給され、そして、お子さんが誕生すると、株式会社花王様から紙オムツのメリーズが一年分贈られることとなります。また、子どもさんが保育園に通うようになると、二人目のお子さんは保育料が半分になります。いよいよ小学校に入学する時には、入学準備金として三万円がお祝いとして贈られることになります。
 人口減少が懸念される中で、市貝町においても結婚が社会から祝福され、安心して子育てができるように、思い切ったサービスを設計いたしました。社会的な給付は若い世代に対してだけではありません。高齢者の方にも考えました。これから高齢化がさらに進んで行く中で、元気な高齢者の皆さんにも人のために働く喜びと生きがいを失わないで欲しいと願い、ボランティアをされた場合に商品券を差し上げることといたしました。この場合、一人ひとりがバラバラにボランティアをするのではなく、できることでしたら地域でまとまって子どもやお年寄りの見守りや支援をしていただくと地域の全体的な活性化に役立ちます。みんなが手に手をとり合って助けたり助けられたりの福祉のコミュニティづくりに結びつけばと思っています。
 このような取り組みが評価されるようになると、市貝町に住んでみたいと考える人が増えてくるのではないかと期待しています。桜前線に誘われてそろそろサシバがやってきます。サシバが市貝町を選んで日本一やってくるように、たくさんの人が市貝町を選んで住んでくれることを祈っています。
平成28年3月
 5年目の3月11日がやってきます。市貝町は、町民の皆さんの忍耐と努力により、町有施設を中心に復旧を終えることができました。心から感謝申し上げます。しかし、福島県民の中には、未だに4万3,000人余りの人が県外において避難生活を強いられているということです。栃木県内にも2,800人ほどの避難者が親類や知人を頼って身を寄せていらっしゃいます。私は避難者でつくる「アジサイ会」の方々と交流を続けていますが、身内に犠牲者を出しながらも、明るく力強く懸命に生活されている姿に強く感動させられています。アジサイ会の皆さんにとっては3月は慰霊の月となります。心からご冥福をお祈りいたします。
 市貝町では、今月7日に防災訓練を行いました。見上、竹内地区に大雨による土砂災害の恐れが出たという想定の下での避難訓練といたしました。寒い中早朝よりご協力下さいました住民の皆様にお礼申し上げます。市貝町には山腹崩壊の危険がある所が62か所、急傾斜による崩壊の可能性のあるところが19か所ありますが、見上・竹内地区には16か所の土砂災害の危険箇所が集中しています。同地区では大雨のたびに荒川の洪水による被害が発生していますが、山腹に集落があることからがけくずれなどにも十分対応できるようにすることが狙いでした。一般に、土砂災害の兆候としては、湧き水が出る、池の水が濁る、小石が落ちるなどが見られるということですが、今までになかったから大丈夫などの過去の経験や指定されている場所だからという安全信仰にとらわれず現場での臨機応変の対応が必要となります。14人が犠牲になった2009年の山口豪雨の時には、防府市に対し県が3度も土砂災害警戒情報を発令したにもかかわらず、市長が土砂災害の被害が過去に発生したためしがなかったことから、これを受け流していたということが分かっています。また、東日本大震災では、陸前高田市でハザードマップという市が配布した災害予測図にあった避難所である体育館に逃げ込んだところが、屋根までかかる大津波に襲われ77人の犠牲者を出したと報道されました。
 ハザードマップも災害情報も一応の目安であり、現に災害が生じている現場では、巡回している役場職員や消防団員の適切な指示に従うことが重要です。釜石市の学校では、ハザードマップの浸水区域に ても、子どもたちが自分で判断し「自分が最初に逃げる人」になって避難する訓練をしていたため全員無事だったと伝えられています。
 避難訓練は、アメリカなどではシナリオ通りに行った場合には「失敗」と評価されてしまいます。実際シナリオ通りに災害が発生することはなく、派生する二次災害もシナリオ通り繰り出してくるはずもなく、訓練は計画に潜む課題の抽出とマニュアルの死角を発見するために行うものです。前回は東日本大震災で丘陵に亀裂の入った杉山地でしたが、実態に合った訓練を重ねることにより災害に強い町づくりを進めて行きたいと思いますので、地域住民の皆さまにはご協力をお願いいたします。
平成28年2月
あけましておめでとうございます。旧年中不本意であった方は、我が身を振り返り教訓を汲みとり、年の始めの一年の計に反映させ、今年こそは良いお年にして下さい。また、順風満帆であった方は、今年も持続できるよう、努力を怠らず精一杯頑張りましょう。
 以前は1月15日の「小正月」が「成人の日」と決まっていましたが、新成人の皆さんが遠いふるさとに帰って友人とゆっくりと旧交を温めてもらえるように、平成十年に国民の祝日が改正されまして、1月は第2月曜日となりました。土曜日が休みの者は、三連休になるわけです。このため、連休最終日に成人を祝うイベントが全国的に催されますが、市貝町では、成人の皆様に成人の喜びをしっかりかみしめてもらおうと、一日早めて連休中日に成人式を開催させていただいています。
 市貝町で今年成人式を迎えられた者は156人ですが、式に参列された方は101人でした。三分の一の新成人が思い思いの成人の日を迎え入れられたことになります。学生であった私も後期試験の準備のため成人式には参加することができませんでした。新成人のうち女性は全員和服を着用され、会場は一気に明るく華やいだ雰囲気となりました。男性の中にも羽織はかまを身に着けて来られた方がおられ、和服に茶髪が良く似合い大変りりしく感じられました。市貝町の新成人の方々は、礼儀正しく、私語は全くと言っていいほどなく、恩師や友人と五年振りの再会ということもあって、和やかな中にも式は厳かに進んだことを、町民の皆様にご報告させていただきます。新成人たちは、4年10ヶ月前に高校入試の合格発表を確認して、市貝町に戻って来たところを、震度6強の東日本大震災に直撃され、大破した校舎から避難し命を拾った方々です。
 私は式辞の中で市貝中は、新成人が最期に学んだ学舎の飛散したガラスを集めてさしばのステンドグラスを心の拠りどころとして、最新の技術と設備を集めて再び添野が丘によみがえったことを伝えました。三田校長先生からもぜひ新校舎に立ち寄って下さいとのあいさつがありました。式の中で武者太鼓が演奏されましたが、「ガンバレ、ガンバレ」と聞こえたのは私だけだったでしょうか。
 今年東日本大震災から五年の節目を迎えることになりますが、県内のメディアから「市貝中のその後」ということで、被災した市貝中の生徒たちがその後それぞれどのような思いで人生を送っているのか取材したいとの申し入れがありました。立派な成人に成長していることを私から申し添えさせていただきました。
平成28年1月
画竜に睛(ひとみ)を入れる年
 改まる歳は、「丙申閏年(ひのえさるうるうどし)」です。丙に火へんを付けるとあきらかと読み、これに季節を当てはめると陽春が来て、いよいよ陽気が進展して明らかとなる歳ということができます。内外ともに躍進する一年となることを祈りたいと思います。
 一年を振り返ると、「消滅可能性都市」ということばが独り歩きした年でした。西暦2040年までに20〜30代の女性の人数が半減する896の自治体のことで、近隣では市貝町を除く、この八溝山地の稜線に沿って南北に連なる自治体が該当していました。どの自治体も必死になって特色あるまちづくりに取り組んでいる最中、冷や水を浴びせ掛けられたような格好となりました。市貝町は平成32年から14歳までの年少人口が上昇に転じ子どもが増え出しますが、まさに「地方創世」という金科玉条のご神符に八九六の市町村が捧げられ、地方の消滅と東京の集中という二つの難問の解決に向けて全国約1,800の自治体が一斉に競い合った一年でした。
 人口が減少するとどのような影響が出るのかと申しますと、税収が減少し介護、福祉および教育などのサービスに充てる財源が乏しくなると言われます。しかし、人口と経費との関係は一概にそう結論づけることは誤りで、自治体の人口構成が年齢的にどのようになっているのか、また、すべての高齢者が高額なサービスの受け手になっているとは限らないという質的な側面も見落してはならないと思います。
 実際、福祉の先進国と言われるヨーロッパをみてみると、日本と同じくらいの面積であるドイツ連邦共和国は八千万人余り、フランス共和国は六千万人を切っています。一方、日本の人口を歴史的にみると、明治の初めごろは現在の三分の一ほどの3,500万人しかおらず、急激に増えるのは戦争の時代と言われる昭和に入ってからでした。人口の減少を補うとの理由で、人口が集中する東京から後期高齢者ばかり迎え入れることになれば、サービスを受ける年齢層と負担をする世代のバランスが崩れ、それこそ財源が乏しくなってしまい、当初の人口増加策の目的がズレてしまうことになりかねません。太平洋戦争、そして東日本大震災と市貝町の復興を支えてこられた町内の高齢者を優先して大切にするとともに、病院や施設に頼りっきりにならないように、最期まで元気ではつらつ生きがいを持って市貝町で暮らせるようにすることが、私たちの使命です。
 町では、この二年間かけて福祉の計画をはじめ町振興計画など、たくさんの計画を作ってきました。移動のためのデマンドバスの充実、救急車が入れないほどの狭い道の舗装・改良、保育料や教育費の負担軽減、社会福祉協議会にヨロズ相談所の開設、若い転入者に対する配慮、高齢者の健康づくりなど計画の実行は目白押しです。
 福島県の避難者でつくるアジサイ会の代表から、道の駅に行くと必ず「福島県被災者支援」の看板が目に入り、市貝町の温かい心づかいは「生涯忘れません」と言われました。画竜点睛。これからもさしばのように、選ばれる町づくりのために身を削って働らかせていただきます。
本文終わり
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