栃木県市貝町
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2012年3月9日 更新
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市貝中学校卒業生の皆さんへ(町長からのメッセージ)
平成23年度市貝中学校卒業式での町長のメッセージをご紹介します。
 卒業おめでとう。三月弥生ともなれば、小鳥が歌い、晴れの日の暖かい昼下がりには花々が心地良い香りを振りまいてくれる季節ともなろうはずであるのに、梅のつぼみは未だ硬いままです。また、式場も体育祭や文化祭などの思い出がぎっしりと詰まった添野が丘の体育館ではなく、トレーニングセンターとなりました。このため、皆さんの姿を見た方々は、残念で寂しく思ったことでしょう。このような卒業式となり、町の代表として申し訳なく思っております。
 しかしながら、市貝中学校の先輩として、皆さんを拝見させて頂いておりますと、このような記念すべき卒業式を行える皆さんは、人生における幸運の巡り合わせに結ばれて、その姿も一回り大きく見え、とても凛々しく立派です。
 その理由の一番目に、大震災に校舎ごと大きく揺られながらも、誰一人傷つくこともなく、欠けることもなく、こうして全員そろって、しかも同じ日に卒業式を迎えられたことは、幸せの何物でもありません。同じ震度6強の大地震の被害に遭った東北地方の中学3年生は、死者や行方不明者を含めちりじりばらばらになったまま卒業式を迎えるということです。私が学んだ懐かしい市貝中学校の校舎は、まるでミサイル攻撃を受けた廃墟のように灰色の雲の下に、コンクリートの肩を突っ張って立ったままです。皆さんが九死に一生を得ることができたのは、教職員の皆さんの的確な避難誘導があったればこそと今でも信じておりますが、まさに奇跡です。
 理由の二つ目は、皆さんが先生方や地域の人々にずっと見守られてきているということです。皆さんが歯を食いしばって部活動や勉強に頑張っている姿が、新聞のみならず、全国放送のテレビ局にも取り上げられ、日本中に伝えられました。私も皆さんの校舎を一日も早く、安全安心な形で立て直したいと文部科学省などへの要望に走り回りましたが、「栃木県市貝中学校」と名乗ると、「大変でしたね」と同情の声が行く先々においてかけられたのには驚かされました。皆さんは、日本中の人たちに見守られていると何度も実感いたしました。おそらく皆さんが、市貝中学校を卒業した後も、「プレハブ校舎で勉強したんだって」と後々ずっと語り継がれていくことでしょう。
 私は、このような立派な市貝中学校の後輩の皆さんと、当時のこと、そして、それ以後のこと、たくさんお聞きしたいと思っておりましたが、6月の頃に一度だけ語り合う機会を持てただけで、こうして別れの時を迎えてしまい、とても残念に思います。教育長と相談し12月の中旬頃、皆さんと保護者を交えて話し合う機会を持つ予定でしたが、市貝中学校の在り方に結論が出なかったことから、11月の段階で流れてしまいました。この一点は、私にとっての大きな心残りです。
 しかし、皆さんのその後の気持ちの変化をつかめる手がかりを一つだけ、得ることができとてもうれしく思いました。それは、皆さんの代表の木村さんの意見発表でした。内容は隣町の廃校となった小学校で勉強したり、今度はプレハブ校舎に戻り部活動の練習をしたりと転々とし、たいそう不便を感じたようでしたが、周りの温かい支援があり、それに応える意味でもプラス思考で頑張るというもので、堂々と意見を発表されました。今でも時々目に浮かぶほど立派な発表でした。
 新渡戸稲造という人は、14、5歳で経験したことが、人の人生を決定することがよくあると書いています。多感な時期に強烈に感動したことや、すさまじくつらい経験をしたりすると、青年の心の深いところにしっかりと根を張り、考え方や感じ方の基礎を形成するのだと思います。14、5歳の経験によって人の人生観や世界観が創られるとおっしゃっています。皆さんは両親はもちろん、祖父母さえも経験したことがないような千年に一度と言われる大震災を体験しました。この貴重な体験をこれからくり広げられていく人生に、しっかりと生かしていって欲しいと思います。
 皆さんが経験から得た教訓は、二つあると思います。一つは生き延びること、どんな困難に直面しても、挫折しないで立ち上がること。二つ目は人と人とのつながりを大切にすることです。登山家に「なぜ山に登るのか」と聞いたところ「そこに山があるから」と答えたというのは有名です。一見ロマンチックな答えですが、事実は異なります。「天と地とを結ぶ聖なる山」と言われるエベレストに登った方の体験談では、標高3,000メートルを超えると、頭痛や嘔吐、下痢を誘発し、4,000メートルを超えると「死の領域」に入ると述べています。そして8,000メートルに至ると、酸素が3分の1になり、氷点下40度の世界が広がり、風速70メートルのジェットストームが吹き荒れ、さらに、幻覚や幻聴に襲われるようです。エベレスト登頂を果たした登山家は誰もが、喜びに浸るどころか、ものの一分もいることなく、瞬間に気持ちを入れ替えて、逃げるように下山するのです。今度は死にたくないの一念でひたすら生きようとベースキャンプを目指し降りてゆくのだと言い、下山の途中何十年も前に遭難した何人もの屍を目にしながらも、立ち止まることなく逃げ延びてゆくのだそうです。この絶対的事実に向き合ったときに初めて「未知への畏れ」を素直に認め、そして、偽りのない「真実の自分」が立ち現れるのだと告白しています。皆さんも一年前の明後日の3月11日2時46分に、この経験をしたはずです。これから始まる長い人生において、どんな困難が立ちはだかろうとも挫折することなく、生き残った身体と命を大事にして生き延びていって欲しいと思います。
 二つ目は、人と人とのつながりの大切さということです。少し前のアンケートになりますが、阪神・淡路大震災の時に、「最も頼りにできた人は誰ですか」との問いに対して「家族」と答えた人が過半数を超えました。皆さんは東日本大震災の時には、誰が一番頼りになりましたか。おそらく、両親、兄弟だったのではないかと想像します。ところで「我思う故に我あり」と言って近代科学に道を開いたデカルトという学者は、自分が手にするもの、自分が目にするものすべてを疑いました。疑って最後に残ったのは、今、こうして考えている自分だけだということに気がつきました。デカルトは自分は他人から独立して存在し、他人とまったく無関係に行動することができるという結論に達したのです。この自分と他のものを分ける二分論が、今皆さんが学んでいる科学の基礎となっている考え方です。ところがデカルトは、この考えを、孤立した場所、暖炉のある小部屋に一人座りながらまとめたと言われています。
 しかしながら、皆さんは、大地震に襲われた直後、家が壊れ雨が漏り、当たり前にあると思っていた水も電気も、それから食べ物も手に入らなくなった時、自分一人では生きられないことを悟ったはずです。太陽は植物に光を与え、植物は小鳥たちに果実を与え、鳥は種を運び、土は種に命を与えます。私たちは突然に地から湧いてきたのでも、空から降ってきたのでもなく、紛れもなく母親の体内から生まれたのであり、そして、地球の贈り物である植物や動物を提供されて命を養ってきたのです。「母あり、ゆえにわれあり」、「太陽あり、ゆえにわれあり」。私たちには、両親があり、友達がいて、先生がいたからこそ、ここにこうして存在できるのだということを忘れないで欲しいと思います。
 冒頭申し上げました通り、本日の卒業式はこれまで皆さんが卒業生を送り出して来た添野が丘での式典に比べれば、どこか寂しく感じられるかもしれません。しかしながら、東日本大震災という未曾有の大地震に遭遇しながら、こうして全員無事に卒業できることはこの上ない喜びであり、幸せであると信じます。
 また、田上校長先生をはじめ、教職員の皆さん、保護者の方々、来賓の皆さんの心は、一人もかけることのない卒業生を無事に送り出せることに対し、今、感動で一杯であると推察いたします。
 どうか今日の喜びを胸に、サシバのように翼を大きく広げ飛び立って行って欲しいと期待しています。
 結びに、本日ご臨席をされました関係者の方々とともに、皆さんのご健康とお幸せを祈り祝辞とさせていただきます。

  平成24年3月9日
                                             市貝町長 入野正明 
 
本文終わり
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