栃木県市貝町
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2018年5月25日 更新
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町長コラム
広報紙より抜粋しました町長コラムを掲載しています。
平成30年6月
 絶滅が危惧されている野鳥の中に、赤ちゃんを運んで来るという伝説の鳥コウノトリがいます。コウノトリと赤ちゃんをキーワードにインターネットで検索すると、「わが家にもコウノトリがやってきた」などと記された多くのサイトにヒットします。実は、赤ちゃんを運んでくるという伝説は日本で紡がれたのではなく、コウノトリを国鳥に指定しているドイツであったようです。しかし、羽を拡げると二メートルにもなる全身白色の大型の鳥が青空をふわふわと舞う姿は美しく、里に暮らす人々になんともいえない幸福感を与えずにはおかないと思われます。
 コウノトリはシベリア東部のアムール辺りで子育てをし、九月から一月ごろまでかかって越冬地である日本に渡ってくるということです。かつては日本全国に生息し繁殖していましたが、一九七一年に兵庫県豊岡市で野生最後の一羽が保護され死亡してからは、日本では迷って飛来するものしか見かけなくなりました。
 コウノトリの絶滅要因は、乱獲や圃場整備によるエサ場である湿地の喪失などが上げられますが、最後の引き金は農薬による身体の汚染であったようです。
 里の市民が暗中模索する中、旧ソ連のハバロスクから一九八五年に六羽の幼鳥が贈られ、人工飼育の後にヒナが誕生し、これを基に野生復帰を目指され県と市と住民が一体となって取り組む大プロジェクトが展開されることになりました。市にコウノトリ共生課を設置するとともに、営巣用の雑木林とエサ場となる農地を含む一六五ヘクタールのコウノトリの郷公園を造り、アメリカ、ロシアの研究者や世界中の自然保護団体の役員を一堂に集め「コウノトリ未来・国際かいぎ」を開催し、さながら豊岡市は環境や地域づくりの会議とシンポジウムで人が集う舞台になったように、一躍有名になりました。
 当初は専門家と行政が国庫補助を受けながら主導していましたが、市民の間でも貴重な鳥との認識が広まり、特にエサ場となる水田と農業の再生が最重要課題となりました。
 田んぼでオタマジャクシをはじめ小動物がひからびないように常時水を張った状態とするとともに、化学物質で汚染されないように無農薬、無化学肥料の田んぼも造られました。子どもたちも安心して田んぼに入り生き物調査をしたり、収穫した安全安心なブランド認証米・コウノトリ舞(米)や野菜を朝市で直売するとともに、芋煮会や農道の花一杯運動を行っているということで、野鳥の保護から地域づくりに発展して行きました。現在は、地域全体を博物館に見たて、自然と生活のかかわりを求め、地域の発展を図るエコミュージアムづくりに努めているということです。
 当町も柳生博日本野鳥の会会長が来町されて八年目でようやく来年国際シンポジウムの開催までこぎつけることができました。市貝町も豊岡市に追いつきたいと考えています。
平成30年5月
 町の認知度を高めるために、自治体などで作った着ぐるみコンテストがあり、「サシバのサッちゃん」が全国で55位、県内では第3位に輝きました。怖いものが付属されておらず、可愛く感じられたのでしょうと、関係者は評しておられました。
軒の下をツバメが飛び交うようになると、サシバが南の国から子育てに帰ってきます。好みの休憩所である電信柱に止まって、哲学者の風ぼうでじっと下界をながめています。なぜサシバが日本一、市貝町にやってきて子育てするのか、これが私に与えられた難しい課題です。しかし、これこそが市貝町を日本一、いや世界一有名にする鍵だと思っています。ヒントは、古墳が密集していること、日本で一番長い谷津田(谷がかった湿田)があること、小動物の子育てを見守る優しい住人が暮らしていること、です。
 古墳が築かれた古代の市貝町の歴史を紐解くと、ロマンがあふれ出ます。近世までの日本の水田のほとんどは、このころ拓かれたと言われています。芳賀郡では、農業史上もう一度開田の波が江戸時代から大正時代にかけてやってきます。
 サシバが日本一営巣する地帯は八溝山地に平行して走る喜連川丘陵です。ここに鬼怒川から取水して一大米生産地を造成しようとしたサムライがいます。福沢諭吉の先祖が属していた奥平宇都宮藩の家老山崎半蔵勝長です。奥平氏は、長篠合戦で徳川軍を勝利に導くとともに、江戸三大仇討ちで名声をはせた武門の誉れ高い譜代大名です。半蔵は延人数十万人を動員し、十年の歳月をかけて、現在のさくら市押上から高根沢町飯室までの延長20キロ余りに及ぶ、当時の栃木県内では最大の用水堀を、明暦二年、西暦一六五六年に完成します。これが世に言う「市の堀用水」です。奥平家が大分県に領地替えになった後は、市の堀を管轄する領主が戸田家、一橋家、堀田家の三つに分轄されたことにより、管理をめぐる争いが多発することとなりました。また、鬼怒川は、その名の通り定期的な大洪水に見舞われ、その度に取水口の大普清が必要となり、大変な負担が領民に課せられ、何度も分裂の危機に直面しました。
 明治時代に入り、領主間の争いが解消するものと思われましたが、上流の開田により下流域の水不足が深刻さを加えてきました。このため赤羽地域は、もともと思川用水を利用していましたが、これに加えて市の堀用水の水利権の獲得が必要となりました。県議の藤平謹一郎氏はまず私費を投じて20ヘクタールの改良を行い、その効果のほどを赤羽村と大内村の地主等に示して見せました。用水利用の恩恵は絶大との評判が村々を走り、赤羽と清水に耕地整理組合が立ち上がりました。こうして赤羽の台地に用水が引かれ、さらに水田が拓かれる基礎が築かれたのです。
平成30年4月
 梅の花咲く中を市貝中学校の卒業生が巣立っていきました。
 卒業生一人ひとりの顔をのぞき込みながら、ちゃんと友だちに「さよなら」言ったかなと思いました。私も同じ体育館で卒業式を迎えました。入試からあっという間の出来事だったので、これからのことなどについて友と語らう時間があまりありませんでした。それっきり会えなくなってしまった友人もいます。みんな元気で立派な大人になってくれますようにと祈っています。
 卒業式では、入試のことで頭がいっぱいになっている卒業生に少しでも記憶に残してもらえたらと思い、入試問題を援用してあいさつさせていただきました。「社会」の問題の中に、人口爆発が起きている発展途上国では、内戦などにより食料に不足する人口の割合が高いが、その解決のためには何が必要かという設問がありました。答えは、国家の安全保障ならぬ「人間の安全保障」の視点を持つことが大切である、ということです。
 人間の安全保障の重要性を主張しているのは、インド出身でアジアで初めてノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・セン博士です。紛争や貧困、そして人権侵害から人々の生命と自由を守ることが不可欠だと訴えます。そのためには、まず、読み書きができるようにならないといけない。それによって初めて自分たちを守る法的な権利があることを知ることができ、自分が不利益をこうむっている場合には訴える能力を身に付けることができるからです。基礎的な教育がないと、就職においても不利になります。さらに、自分たちの要求を効果的に表現できる能力がないと、格差がつけられたときに正当な扱いを受けられないままになってしまうと言っています。
 セン教授に学校における基礎教育の必要性を言われるまでもなく、親というものはどんなに貧しく困窮していたとしても、男の子だけではなく、女の子にも実益のともなう教育を受けさせてあげたいと思うものです。親自身が教育のハンディキャップにより苦しんだ経験を持っている保護者であれば、なおさらのことです。
 日本は一八七二年に教育制度である学制を公布しましたが、その時の学事奨励に関する仰せ出され書の中で、「地域に不学の家なく、家に不学の人なからしめんこと期す」と基礎教育に対する社会の責任を明らかにしています。
 明治の先人は基礎教育の導入に全力を注ぎました。ひるがえって平成の私たちは人口増の潜在能力を持っていた団塊ジュニア(71〜74年生まれ)がすでに四十歳を超え、絶好の機会を逃しつつあります。子育て支援、特に子どもや教育への最優先の投資が求められます。
 市貝町は、母子家庭や多子家庭、そして子供の貧困問題にさらに切り込んで行きたいと思います。
平成30年3月
 アメリカの若者の間で「忠臣蔵」がひそかな人気になっているということです。浪士たちの忍者のような黒ずくめのいで立ちに興味がそそられたのだろうと思います。専門家の考証によると、鉢金が付いた黒の頭巾をかぶり、そろいの黒ラシャ(厚地の毛織物)の羽織を着こみ、その下には鉄板や鎖を縫い止めた物を付けていたということです。心にくいのは、鎖かたびらの上に身に着けていた小袖(こそで、今の下着)の裏に、全員「紅色」の絹布を着用していた点です。切られても敵に自らの出血を隠し、最期まで華々しく戦い抜こうという心意気が思いやられ、武士の誇りに胸が熱くなります。一年の浪人の生活の中で軍資金は底を尽いていたはずで、愛刀や家宝を売り払って衣装をそろえたと言われています。
 討ち入った赤穂浪士は四十七人ですが、そのうちの二十三人が私たち郷土の出身であったというと驚きでしょうか。江戸城内で刃傷事件を起こした浅野長矩の祖父長直は、茨城県笠間五万石の藩主で、足軽まで含めると八百名の家臣をかかえていたと伝えられています。曽祖父長重は真岡で二万石を領し、後に茨城県旧真壁町に五万石を受けています。長重は加増、移封されるたびに国替の地で家臣を募ったとあり、このために、家臣の多くは真岡、真壁、笠間出身で占められました。ちなみに真岡出身者には潮田作右エ門、小野寺十内、木村吉兵衛、間瀬権太夫、吉田忠左エ門、そして高名な堀部安兵衛がおり、討ち入りの大将を務めた家老の大石内蔵助親子は真壁からの参加でした。
 この真壁からの仕官者の中に、市貝町赤羽出身の赤埴(あかばね)十右エ門、源蔵重賢の名が見えます。赤埴氏は赤羽を領する地侍で、主家宇都宮氏が没落するのに伴い、その子孫である兵太夫がこのころ真壁に退城したと、赤埴氏の旧臣の古記録に記されています。源蔵は細川家に預かりとなっていた間、多くを語らなかったと伝えられていますが、最期に土浦藩に仕える弟に伝言を依頼したとあります。妹は宇都宮藩士に嫁いでいました。源蔵の家格は高く、馬廻(うままわり)役二百石、江戸詰で、高家吉良上野介殺害の罪状が明らかになると罰が一族に及ぶことを恐れ、寡黙を押し通したのだと推察します。旧暦二月四日夕刻、現在の暦に直すと三月二十四日、梅花真っ盛りのおぼろ月の下で、三十五歳の短い生涯を閉じます。浪士を預かった細川越中守は切腹の場を清めることを許さず、来る客人に義士の魂ここに宿ると語ったと伝えられています。
 そろそろ観音山の梅が市貝町に春を告げます。花を愛でながら思いを深めていただけたらと思います。
平成30年2月
 今年の成人式は、新成人の皆さんが実行員会をつくり、自分たちで運営していただきました。新成人は七年前には市貝中の一年生であり、三月十一日に東日本大震災に遭遇しています。校舎が大規模破砕した中で、全員無傷で生還したのはまさに奇跡としか言いようがありません。この子たちは神様に守られていると思ったのは私だけだったでしょうか。
 実行委員長は、生徒会長だった郷間崇名君が努め、主催者あいさつをし、続いて沢村和樹君と小林美穂さんが成人の主張を発表されました。アトラクションでは、当時の恩師が思い出を語り、感動的な式典となりました。
 私は二十歳に成人式には出席できませんでしたが、そのころは仲間と三畳間の下宿で深夜まで議論したものでした。郷間君もあいさつの中でおっしゃっていましたが、自分の生き方や将来について大いに意見を交わすことは良いことだと思います。そこで議論の種になればと思い、「あなたの未来も見えてくる」という書評が付いた英エコノミスト誌の『2050年の世界』の中から、三十年後の日本について拾い読みさせていただきました。
 例えば、医療についてはすでに人間の遺伝情報(設計図)が解読されていることから、体内より幹細胞を取り出し、遺伝子情報を書き変えて埋め戻せば病気が治ってしまう。勤勉で優秀な女性の待遇や地位が向上し、早期退職の慣行が改められている。また、コンピュータによる翻訳能力が飛躍的に上昇し、英語学習の必要性が低くなるなどと書かれています。
 ショッキングな予測は、シンガポールなどのアジアの途上国が世界経済において重要な地位を占めてくるのですが、その中で日本が急速に存在感を失うという下りです。現在の日本のGDPは約5百兆円半ばで、世界経済の5%台の後半を占めていますが、三十年後には1.9パーセントになると予測しています。国富のうちおよそ三分の二にあたる三百兆円余りが吹き飛んでしまうということから、新成人の皆さんが中堅として活躍する2050年の日本は、厳しい雇用環境になっているかもしれません。
 ベストセラーになっている『君たちはどう生きるか』の中で、「人間が自分をみじめだと思い、それをつらく感じるということは、人間が本来そんなみじめなものではあってはならない」という思いがあるからだとあります。私はそこにこそ正義感を持って人間として成長するバネがあるのだと思います。新成人の皆さんには、挑戦の中で新たな自信を汲み出して行って欲しいと思います。
平成30年1月
 明けましておめでとうございます。
 町民の皆様から、さらに四年間町民の福祉の向上のために働くようにと「町長の公器」を預かりました。これは大変重いものであり、喜びよりも重圧が身に迫り責任を強く感じさせられています。夜明けとともに町民の身の上を案じ、寝ても覚めても二十四時間、三百六十五日身を粉にして町民お一人おひとりの幸せの実現のお手伝いのために働く覚悟です。
 私が「公器」を授けられ最初に与えられたミッション(使命)は「市貝町を再生させよ」という命題でした。「市貝町はこういう歴史的背景があり、北部にはサシバが日本一子育てにやってくる美しい谷津田があり、南部では花王が日進月歩の勢いでサシバと共に南方を拠点に拡大し、中部はバイパス開通に伴い、限りない発展の可能性を秘めた町です。」と一瞬で理解してもらうことは難しいことです。そこで、行政単位である「市貝町」を地域ブランドに高めるためには、果てしない労力と時間を要すると悟ったため、日本一子育てしているサシバをテコにして町全体を浮揚しようと「サシバの里いちかい」で地域ブランドを仕立て始めた次第です。狙い通り短時間で知名度は浸透しているようですので、いよいよ本格的にサシバの里の整備に取りかかろうと思います。先進自治体としてコウノトリと共生するまちづくりを進め世界的に高名となった兵庫県豊岡市の元課長が「うちよりも美しい、まさに完成品ですね」と賞賛された村上、駒込、田野辺、刈生田、羽仏、塩田、大谷津、続谷のラインを日本一優れた谷津田として保全整備しなければならないと考えます。長屋門などの色などが統一された景観の形成、人と自転車が安全に散策できるロード、その傍らには一年中絶えない花の植栽、また、谷津田に生きる小動物たちにやさしい農法の確立、さらに先人たちの遺産である美しい里山を守るための開発規制、そのための規制区域の設定、そして、サシバが日本一子育てする里地里山を手入れし守る人たちへの財政的支援など思いは尽きません。これらが完成した暁には、「サシバの里」は市町村合併した後も潤いと安らぎの地として未来に残るに違いありません。
 サシバが日本一子育てする町=いちかいまちであるとすれば、当然子育て日本一の町になっていなければ恥ずかしいことです。子どもは家を選んで生まれていない、養育者の一番の悩みは少ない収入で世間並みに子育てしたいということです。子どもは社会が育てるものです。子育ての負担を軽くするために、保育料、学童保育料を減免するとともに、ファミリーサポートを助成しリフレッシュの時間を確保させてあげたいと思います。
 世界的な高齢化社会を迎えますが、裏返せば多死社会の到来であり、二人に一人がガンで亡くなるということです。しかも高齢世帯の7割が老々・単身世帯となります。病院も一杯になることでしょう。住み慣れた所で気心の知れた人々に見守られながら最期の時間を生き抜くことができるように、医師や看護師などが訪問で支える生活の場づくりをしたいと考えています。
 故郷に遺したいことは山ほどあります。持てる全てを捧げます。
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